代表プロフィール

向井文康
プレシャス代表・一級塗装技能士
1972年3月1日
<所属>
西そのぎ商工会
└時津町商工会青年部部長(2007年
└西そのぎ商工会青年部部長(2009年,2010年)
└長崎県商工会青年部連合会副会長(2009年,2010年)

建設長崎
└建設長崎西彼支部青年部副部長(2011年,2012年)

時津町消防団(久留里第9分団)

倫理法人会

 


長崎市・江平に生まれる。
父親の仕事(自営業)の関係で小学校までに長崎・雲仙・島原・
長崎と転々とし、今も住んでいる時津町へ。

中学から「いつかは自営業を継ぐから」と思っていたこともあり、
勉強はほとんどしなかった。高校進学時にも、
「好きなバイクについて知りたいかなぁ」と思う程度で、
高校は定時制の機械科に進学する。しかし、想像していた授業と程遠く、
すぐに興味が薄れ、1年も経たないうちに高校を退学する。

そしてそれから神奈川に。
長崎を出てみたかったし、お金が欲しかったし、自由にしたかった。
19歳の時まで色んな仕事をしながら楽しく適当に生活をしていた。
そんなある日、家族から「自営業をやめる」連絡が入る。

「いつかは自営業を継ごう」とあてにしていた将来の職が
なくなることに焦り、長崎に戻る。
しかし、長崎に戻っても結果は変わらずお店を閉じた。

それから「このままではいけない、ちゃんと手に職をつけないと」と思い始め、
他の仕事より日当が良かった溶接工になることを考え、
専門学校の入学を決意する。そんな中、入学を控えて暇をもて遊んで
いる自分に対して、ある先輩が「暇なら手伝ってくれ」と言われ、
『塗装』に出会う。軽い気持ちで始めたのだが、忙しい流れに流されて
気づいたらそのまま船の塗装を約1年間手伝っていた。

溶接工という目標を曖昧にしたまま、20歳の時に塗装の会社を辞める。
そして、また神奈川でお世話になっていたみんなの所に行こうと
再度長崎を出ることに。しかし、長崎を出る際に握りしめたお金は
わずかばかり。神奈川にたどり着く事が出来ず、愛知の地におりる。
知り合いに助けられる形で、自動車の期間工に就職し、シートの張替えをする。
しかし、急激に仕事がなくなり、期間工という立場上、会社にいられなくなる。

「親の後も継げなくなった」
「手に職もつけられなかった」
「少しの仕事もなくなってしまった」

そんなどん底の中で、近所のスナックのママにある人を紹介される。
それが福岡出身の塗装屋さんだった。またしても『塗装』との出会いだった。
何もない自分は藁をもすがる思いで、お世話になることに。
適当だった今までの自分が嘘のように、塗装に一心不乱で取り組んだ。
取り組んだ仕事は金属塗装がメインだった。

そして、その修行にも一定の区切りが付き、長崎に戻ったところ、
長崎でも塗装を行うきっかけとなる出会いが待っていた。
19歳の時に船の塗装をしていた時に知り合った方だった。
また戻ってこいと言ってくれたこともあり、再度お世話になることに。
一人親方として長崎では仕事を始めたが、一人では請け負えない量が流れてきて
向井工業として人員を抱え、7人程度の規模となり、順風満帆な展開をする。

しかし、そんな中でも
「船の塗装、金属の塗装には自信がついたけど、他の塗装が出来ないとな」
と、不安と興味を抱え始める。それが次第にどんどん多くなり、
25歳の時に船の塗装をやめることに。

それから建築塗装や粉体塗装を学べる会社にお世話になる。
約2年間お世話になり、それから自然な流れで会社を離れることに。
どうしようかと思いながら、以前より仕事のお誘いを受けていた
会社にお茶飲みがてら挨拶に行ったところ、その会社で受けていた
塗装関連で問題が発生していた。一番最初に勉強していた
金属塗装についてだった。軽い気持ちで1~2日手伝うつもりだったのだが、
この対応がきっかけで、長期的な仕事の依頼が来ることに。

こんなひょんな事をきっかけに、独立をすることになる。
1999年、27歳の時だった。

独立以後も、塗装から幅を広げることなく、塗装を深く掘り下げていき、
建築・金属・船を中心に、県外はもとより、時には海外での仕事もこなす
塗装専門会社とする。

プライベートでは、職人が集まった太鼓サークルやPTA活動、
また、商工会や消防団など地域のための活動もしている。